トップ > interview第21回 株式会社田中商店

第1回 大知木材株式会社

第2回 株式会社有馬商店

第3回 西田木材

第4回 株式会社大垣

第5回 株式会社灘銘木店

第6回 株式会社毛利商会

第7回 カルモ木材株式会社

第8回 清水木材株式会社

第9回 株式会社三栄

第10回 株式会社山本商店

第11回 三祐木材株式会社

第12回 有限会社山神材木店

第13回 林木材株式会社

第14回 株式会社名田商店

第15回 名村木材株式会社

第16回 株式会社柳原木材

第17回 宮崎木材株式会社

第18回 合資会社稲見材木店

第19回 株式会社兼久

第20回 合資会社ミツワ材木店

第21回 株式会社田中商店

第22回 株式会社岡本材木店

第23回 神戸建材株式会社

第24回 有限会社伊藤材木店

第25回 岸野木材合資会社

第26回 株式会社真田商店

第27回 滝乃木材有限会社

第28回 株式会社福島材木店

第29回 中原材木店

第30回 川本木材株式会社

 

神戸の材木屋さん

 

21回:株式会社田中商店(神戸市兵庫区中道通)

 

こんにちは牧牛(ぼくぎゅう)です。

 

さて、今回の訪問先は神戸市兵庫区中道通3丁目1-15の㈱田中商店さんです。神戸高速鉄道の新開地駅で下車し、大開通を西に進み神戸木材会館の信号を右折して山手に200メーターほど上ったところにお店はあります。斜め向いには第18回で登場した(資)稲見材木店さん、並びには兵庫警察署があります。取材日は平成25105日土曜日の午前中、インタビューに応じて下さったのは社長の田中隆吉(たなか・たかよし)さん、奥さんの田中美子さんの援護射撃もありました。

 

田中さん御夫婦

 

19回の兼久さん(田中肇さん)、前回(第20回)のミツワ材木店さん(田中成和さん)に続く田中姓の3連続、神戸木協田邊事務局長の粋な計らいです。

 

例によって牧牛の大好きな、そして一番興味のある会社の歴史からインタビューをスタートしました。

創業者は現社長のお父上・田中勝次さんです。大正7年生まれ、すでに没後15年経過しています。三田市の木器(こうづき)出身。尋常高等小学校を卒業後、西宮の衣料関係の会社に入り(丁稚奉公)行商をもっぱらとしていたそうです。その後戦争にとられて中国を転戦、無事に終戦を迎えて内地に引き上げてきました。戦後は、勝次さんの故郷三田の木器に戻りました。

 

田中勝次さんが材木屋を立ち上げた話がなかなか出てきません。

 

木器の近所に製材所があった。その製材所から木材を分けてもらい、神戸の長田神社の参道にある衣料品店の路地に運んで材を並べ、木材販売をスタートしたのが木材業のきっかけだそうです。その路地も、戦前勤めていた衣料関係の会社で世話になった方から借りもの、昭和2010月のことです。どこかの材木屋で修業したとか、勉強したとか、暖簾分け、ではありません。「木材に関して全くの素人でした、親父は」と田中社長。誠に不思議な成り立ちです。能力があり時勢に乗った、そんな気がします。

 

昭和254月に法人改組しました。

 

商売の形態は昔も今も小売、仲買業です。大工・工務店さんに一般建築材や住宅設備機器を販売しています。加えて、リフォーム中心ながら建築業にも進出しています。内装工事はもちろん、空調等の設備に関係する建築工事も取り組んでいます。現社長の代からですか?の問いには、建築は先代の時から、と。先見の明があったのですね。

 

田中隆吉社長は昭和333月生まれ、お姉さんが4人、末っ子で長男です。学校を卒業後すぐに家業に就きました、昭和51年のことです。社長就任は平成5122日。現在6人体制で仕事を回しています。

田中社長のモットーは「多い少ないに拘わらず、お客様に喜んで頂ける様な店でありたい」。

 

田中社長は、材木屋が「廃材=ゴミ」として扱う木材の端材が「宝物」になったという。知り合いの保育園に相談して実行したら、そんな端材が宝物に変身した。園児が実際に木に触れ、香りを聞き、木に親しむ。ゴミとして捨てるのは簡単だがもっと有効な活用法があった。地域のボランティアとしてやっている。

 

 

 

園児が実際につくった木工工作品。

応接室の傍らに「ウサギ」がいました。「捨てウサギだったので拾ってきました」と田中社長。捨て犬・捨て猫は日常茶飯ですがなんと「捨てウサギ」とは・・・。名前は「ランちゃん」。もちろんキャンディーズからのネイミングです。懐かしいそんな時代だったですね、田中さんの時代は。因みに奥さんのお名前は田中美子(たなか・よしこ)さん。字は違いいますがキャンディーズの「スーちゃん」です。

 

愛兎「ランちゃん」と!

 

神戸と言えば平成7年の阪神大震災です。

 

稲見材木店さんと田中商店さんは道を挟んだほとんど向かい同士。この1本の道が天国と地獄の分かれ道だったのです。東側の稲見さんの被害は比較的少なく、西の田中商店サイドは壊滅的な被害だったそうです。兵庫警察署もぺしゃんこになり、木材もトラックもすべてがビルの下敷きになった。少し離れたマンション(自社ビル)の3階に住んでいたので命に別条なかった。しかし、住んでいた3階が地震で1階部分が潰れたため2階になってしまった。鉄筋が飴の様になり、2階の床のスラブから1階の柱がタケノコのように突き破っている。この光景と付近を襲った火災の怖さ、脳裏に焼き付いて離れません。

 

 

 

 

 

当時PTAの副会長をやっていたので避難所等でのボランティアに没頭しており、仕事どころではなかった。正直言って「これでウチも終わりやなあー」って思ってた。ところが先代から「何してんのや!仕事ヤルゾー」と発破をかけてきた。「戦争はこんなもんやない」という先代のことば。戦争体験者の偉大さに感服しました。当時は脳梗塞で杖を突いていた先代が地震を契機に、いっぺんに元気になったのです。

 

趣味は海釣り。お子さんは長男、長女、次男の3人です。

 

ところで、田中隆吉さんの『隆』の字には「生」の字の上に「一」が乗っています。また、『吉』の字の上部は「士」ではなく「土」です。漢字は難しいですね。

 

最後になりましたが、田中社長が生まれる4日前[昭和3333]に入社された大番頭の松本康夫さん(73)が、来る113日(文化の日)に開かれる第60回木霊祭並びに優良職員表彰式の席上、木材業界在籍50年の栄えある表彰を受賞されます。誠におめでとうございます。

 

田中社長、長時間ありがとうございました。